AMPULE career トップ お仕事 働き方 #1「普通の働き方」を目指すのをやめた元不登校フリーライター【私って「社不」? 「普通に働く」がしんどい人の生存戦略 】

#1「普通の働き方」を目指すのをやめた元不登校フリーライター【私って「社不」? 「普通に働く」がしんどい人の生存戦略 】

SHARE

Xでシェア Facebookでシェア LINEでシェア

「1日8時間、週5で働くのってハードル高くない?」と感じたことはあるでしょうか。フリーライターとして働いている筆者は、不登校になった中学3年生の頃から「普通に働くのって無理じゃない?」と思い始め、その感覚は年々強まっていきました。この記事では、「1日8時間、週5で働くことが難しい」と感じて新卒でフリーライターになった30代女性の学生時代を振り返り、「普通」は本当に普通なのか、本当に「普通」をやらなければいけないのかを考え直したいと思います。

優等生、中学3年生で不登校になる

成績は130人中10位以内。もっと成績を上げたくて、車で30分かかる塾へ週3で通う。吹奏楽部の活動もそこそこ頑張り、合唱コンクールではピアノ伴奏者に選ばれた。どちらかといえば頑張り屋だったわたしは、中学3年生の夏から学校へ行けなくなりました。

朝8時には学校へ登校し、そのまま夕方には部活動。親に迎えに来てもらい、車の中で急いでお弁当を食べて塾へ行き、22時過ぎに帰宅してから宿題に取り組む。元気のない彼氏を励ますためにメールを送る。モヤモヤした気持ちを整理するためにブログを更新し、日記も書く。寝るのは2時か3時。そんな忙しい日々を送っていたら、慢性的な頭痛に襲われ、朝起きられなくなったのです。そこから1ヶ月間丸々欠席したり、1週間のうち1日だけ登校したり、断続的な不登校状態が続きます。

それでも「勉強以外に取り柄がないんだから進学校へ行くべきだ」という信念があったので、少しでも体調が良い日は昼頃にベッドから這い出て保健室に登校し、出席日数を稼ぐ。学校を休んだ日も塾には通い、なんとか進学校に合格しました。

引きこもり生活によって体力がなくなったわたしは、高校に進学してからも「普通の1日」を送るのは難しかったのです。1学期はとにかく欠席が多く、夏休みに全教科の補習を受けなければ単位を取得できないほど休みました。同級生からは「音楽の授業の発表がある日に急に休まれると、こっちも困るんだよ」と言われ、「あぁ、迷惑をかけているな」と申し訳なく思いました。

学校を休みすぎたせいか、第一志望の大学に合格するには学力が足りず、浪人。この浪人が意外な気づきに繋がりました。

「自分に合う環境」を知った浪人時代

予備校は、東進衛星予備校というオンライン授業を受講できるところを選びました。校舎に通って、録画された授業をパソコンで視聴し、小テストを受けて次に進む形式です。休んでも後から授業を視聴すればいい。なんなら、家のパソコンからでも、時間を問わず視聴可能。「休んでも誰にも迷惑をかけない」「休んでも授業に遅れない」という特徴が自分に合っていたようで、現役時代はE判定だった第一志望に合格できました。

後から振り返ると、浪人時代は「自分に合う環境」を選べた最初の体験でした。やること、つまり勉強さえすれば細かいルールはありません。これは今のフリーライターという働き方に通ずるところがあります。やることさえやればOKで、朝早く起きる必要はない。数日間自宅に引きこもっても問題なし。自宅で、好きな時間に、パソコンに向かって文章を書くのであれば「あの快適だった浪人時代」に近いのではないか。進路を検討していた大学3年生の頃、「ネットで文章を書く」という仕事が頭に浮かぶようになりました。

新卒フリーランスとしてお金をもらって生きのびる

大学を卒業する前からライターとしての活動を始め、大学卒業と共に開業届を提出しました。「1日8時間、週5で働く」を一度も体験しないまま、新卒でフリーランスになったのです。そこそこの大学を卒業したのに新卒切符を捨てたのはもったいなかったかもしれません。

しかし、15歳の頃からじわじわ感じていた「普通ができない自分」の生きのび方としては、悪くない選択だと思います。不登校経験や浪人経験を活かし、「普通ではないが、自分に合った働き方」を選べたのは、今でもちょっとした誇りです。

学校も仕事も、いろいろな選択肢を持てたらいいのに

今振り返ると、高校を選ぶ際には通信制の学校を検討してもよかったように思います。当時は「通信制高校は特別な事情がある人が行くところだ」と思い込んでいましたが、それは自分が思う「普通」にとらわれていただけです。自分の適性や無理のないやり方を検討できていませんでした。

自分の中の「普通」にとらわれると、本当はたくさんあるはずの選択肢が狭まり、自分を苦しめることになるのだと思います。

「普通は1日8時間、週5で働くべき」「正社員が当たり前」「普通は20代後半で結婚して、子どもを2人産む」「年齢とともにキャリアアップして年収も右肩上がりが当たり前」。

学生時代のわたしは、当たり前のようにこんなことを考えていました。でも本当に、それが「普通」なのだろうか。自分の性質に合ってる? そもそも心の底から望んでいること? なんとなく「架空の平均」に惑わされていない? ツッコミの言葉は、いくらでも出てきます。

フリーランスになると決めた大学4年生の頃、地元の友人から「でもそんな働き方、現代の日本では現実的に無理だよね」と真っ直ぐに言われたことがあります。フリーランスとして働いている人はいくらでもいるし、大学4年生のわたしはすでに収入を得ていたにもかかわらず、友人にとっては「現在の日本では現実的に無理」とのこと。わたしはこの時、人によって世の中の見え方が大きく異なり、それによって「できる」「できない」のイメージも変わることを実感しました。

学生時代から、会社員でも公務員でもない人やフリーランスの人に会ううちに、それもまた一種の普通だと思えてきました。今まで感じてきた「普通」を疑い、「普通」から逸脱して見える人たちに会ってみる。それを繰り返すうちに、いつの間にかかつての「普通」の外側に出てこれました。

学校生活でも、社会人生活でも、気を抜けばすぐに「普通は〇〇」「〇〇べきだよね」と言いかけます。本当にそうしないと生きていけないんだっけ? 誰かに命令されたっけ? 本当はたくさんの選択肢があることに思い至らず、自分で思い込んでいるだけのことがたくさんありました。「本当にそうだっけ?」と疑う目を持ちながら、自分でも大丈夫な生き方・働き方を選び続けていきたいと思います。

SHARE

Xでシェア Facebookでシェア LINEでシェア

Keyword

伊藤 七
Writer 伊藤 七

VIEW MORE

Page Top